小さな企業でも(あるいは小さな企業だからこそ)CSRは今後大事なことになっていく。

まだ誰も今のようにセラピストや、カウンセラーなどを、仕事にしようとはしなかった 12年前から、 熱心に、「社会のために」という思いを持って、事業として取り組んできた。その当時には、まだ社会起業家という言葉は今のように一般的ではなかったのだが、振り返ってみると、その言葉が非常によく当てはまるような仕事をしてきたように思う。

会社法が改正され、個人が小資本でも株式会社を持てるようになり、ネットメディアやSNSの発達によって、以前よりもだいぶ、小回りの利く経営と、それによる「社会起業家」的な要素は、以前よりもずいぶん立ち上げのハードルが低くなっているように思う。

僕自身が、クリスチャニティが今後非常に大事なものになっていくと直観的に感じているのも、その方向性において聖霊の注ぎがあるというのが第一義というのはもちろんのことなのだが、明らかに世の中のニーズが、社会的地位の追及や、地位財の獲得というベクトルではない方向性に、移行しつつあるということを肌で感じているということがあげられる。

これから中小企業が、信頼を得ていくためにも、「なぜ、その事業を行っているのか?」という強いメッセージ性や、ミッション、ビジョンが、多くの人とと共有できるかということは、重要な課題になっていくだろうと思う。

その意味で、ただ営利目的のための活動ではなく、社会起業家的な精神を持っているかどうかが、翻っては結果的に、多くの富をもたらしていくというパラドキシカルな構造を生み出していくことになっていくだろうと感じている。

大事なことは、誠実に、コツコツと。大上段に構えて、大ぶろしきを広げる必要はなく、ただただ目の前にある物事を誠実に、コツコツと積み上げていくことが、結果的に大きな成果をもたらしていくのだと信じる。

最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。
どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。

ルカの福音書 16章10~13節
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