次世代の教育文化を醸成するため

次の世代のために、いい教育のベースを作ること。これは本当に大事。
しみじみと、コーチングは大事だよと、最近やはり強く思う。コーチングの大事さはそもそもかつての義務教育で学んできていない場合が多く、わりと軽視しがち。と同時に、動画によって、ティーチングもしっかりとカバーできる時代がやってきているので、ティーチングも熱いっちゃ熱い。


今回の「目に見えない社会不安」ということが極端に表れる世相を前にすると、いかに目に見えないストレスに対するメンタルサポートやマインドセットのフレームが大事かをしみじみと感じる。基本的なセルフコーチングの知識や教養があると、これからの激動の時代においても、精神的ストレスを減らせる。


信仰を持つことってすごく大事で、信仰を通じて、聖霊を受けると、聖霊様ご自身が、自分の人生をコーチングしてくれるようになる。また、その目的、ベクトルが向かう方向も明確で、主の御心、そして、ジーザスという、人が生きるべき方向へとしっかりと導いてくれることになる。

そもそもコーチングっていうもの自体が、執り成しの行為であるし、そのメンタルコーチ自体が、信仰を持っていて、聖霊を受けているということはとても大事。そうでないと、ともすると、マモン信仰や、自己崇拝などの、本質的でない方向に進んでしまうことが多い。


信仰を持った、カウンセラー、信仰を持った、コーチ。こうした人々をこれから育成していきたい。

しかし世のためにと思って善意でサービスを無償にしたとたん、提供しているサービスを価値のないものと勘違いしたり、その価値を軽視されるという経験を、数えきれないくらいしてきたが、こういった残念な方々は「執り成し」という行為を知らないからなんだろうなと思った。聖書の教養ってほんと大事。
サービスを無償にするのは、提供しているサービス自体に価値がないと思っているのではない。主に捧げ、弱い人、恵まれない人のために「執り成す」という、信仰に基づいた、自己犠牲的行為であって、十字架を理解して受け入れている相手でないと、この認識の溝って埋まらないんだなぁと感じた。

相手のために誠心誠意、魂と、血肉を注いで製作したVR教会の動画なども、ポストに入る不必要なチラシとたいしてかわらないような受け止められ方をする場合も多い。興味深いことは、そうした方ほど、十字架を知ってほしいという方であることが多いのだが(苦笑)執り成すこと、これはほんと大事。

まぁ、受け入れられるかどうかは、その方自身が、神様の召しに応えるかどうかであって、とにかく自分ができることは愚直な伝道。右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出し、とにかく、執り成しの心で、誠心誠意、弱いもの、恵まれないものに仕えていこうと思う。

バプテスマのヨハネがキリストの道を整えたように、信仰は本当に悔い改めから起こる。悔い改めなしに、信仰も、救いも、始まらないと感じる。

これからも映像やVRを使った無償のサービスはどんどん精力的に作り続けていくが、これは無償だから価値がないということではない。

強いられてでもなく、自らすすんで、主に捧げる「執り成しの行為」であるという背景知識は、なにがしかのアクターになる際の教養として知っていて損はないと思う。

結果的に、こうした聖書的な教養、執り成しの行為の大切さを知っている人が、当たり前のことだが、社会の中でリーダーシップを発揮していくことになるし、その意味でも教育の中における福音伝道って、ものすごく大事なことだなと思う。大人のための、あるいは生涯学習としての、ミッション教育。