テクノロジーの身体性ってすごく大事。今映像制作技術をなるべく自分の身体性の一部に取り入れようとしている。
長年続けているYouTuberって、映像がすでに自分の身体の一部になってしまっていると思う。愛用しているペンが、作家の身体の一部になったあり、言葉そのものが自らの身体性の一部になっているようなところが、映像表現においても大いにあると思う。
映像が身体の一部になってくると、日本人が日本語で、アメリカ人が英語でというように、自らの母国語で考えるように、映像で物事を考えることになっていくのだと思う。ここまでくると、表現の幅も大いに変わってくると思う。