仕事の聖別

クリスチャンになって、まず一番初めに取り組まなければならなかったことは、仕事の内容の聖別だ。もともと長い年月に渡って、ニューエイジ的な文脈でずっと仕事を取り組んできたからこそ、本来は問題ないはずのコーチングや心理学なども、一度その背景に、御言葉から離れ、ニューエイジ的な自己崇拝に陥る可能性がないかということをしっかりと聖別する時間が必要だった。

昨年召されて、クリスチャンになって約7ヵ月。ようやくその時間をたっぷりと持つことができたことで、本当の意味で新しいスタートとして、ファーストベストとしての聖書の御言葉をベースに置いた、セカンドベストとしてのコーチングや心理学などの業務内容におけるポジションがかなり明確になってきた。

やはり一度は全て手放してみて、自分の仕事を客観的に見つめなおすことは非常に重要な時間になったと思う。そして、そのことを通じて、これまでの自分の13年に渡る仕事の内容をしっかりと振り返り、経営コンサルタント、コーチ、カウンセラーとしての自分の商品をしっかりと棚卸できたことは本当に良かった。

昨年の夏からの道のりは、新規事業の立ち上げそのものであり、新装開店だなといえる。

そして、棚卸していく中で、これまでの事業ではあまり中核に据えていなかった動画を使ったコンテンツの制作、主にVR技術をいかに経営の中で使っていくのかいう新しい「強い軸」が生まれた来たことも喜ばしいことだ。

やはり念には念をで、しっかりとお客さまに価値を届けることができるという確信が生まれるまでは、技術のブラッシュアップを怠らずにしてきたのだが、ようやく世の中にリリースしてもいい段階まできたなと感じられるようになってきた。

これからの僕自身の事業展開の中で、最も重要な軸となる価値観は「ミッション系の生涯教育」というものになっていく。これまでの時代の中では、大学を卒業してから、教育の機会はほぼほぼその人の価値観に基づいて、任意のものとして、あるいはその昔は会社が組織的に提供するものであった。しかし、今の時代は、到底、大学までの教育コンテンツだけで、複雑な社会を生き抜いていくことはほとんど不可能な時代に入ってきた。格差社会が、階級社会になり、それがさらに大きく広がってきていることの一因が、高度な教育には高額の費用が掛かり、社会の中で生き抜いていくために必要な知識は、最終学歴を過ぎた後の、「生涯学習」というスパンで考えなければならない時代になったということ。

私が、これからの人生の中で取り組んでいくことは、こうした高品質な生涯学習の機会を、持続的、継続的に受けられるように、VRなどのテクノロジーなども用いながら、人件費や場所代のコストを抑えながら、安価で、良質な教育的コンテンツを社会に届けていくこと。

昔と異なり、大人になってから学ぶことの方が長い時代が来ている。そして、その思想の多くが、特に日本の場合、ギリシャ的なヒューマニズムに基づく、個人主義に基づく教育となっている。しかし、日本において、ヒューマニスティックな、個人主義に基づく教育文化は、多くの場合「生涯学習」の領域において、ニューエイジ的な思想に感化されて、腐敗し、ほとんど詐欺とほとんど変わらないような講座も増えてきてしまっている。

この現状を何とか改善していかない限り、かつてのオウム事件がそうであったように、SNSを中心とした群発的なカルトはさらに広がっていってしまうと思う。その意味でも、私が今取り組み始めた、「ミッション系の生涯教育」という軸が、日本に浸透し、多くの人が、肉体・精神・霊的な分野において、豊かな人生を歩んでいただくための良質なサービスが提供できれば、これほどうれしいことはない。